賛否両論あるようですね。
こんな話題がテーマの雑談記事の方が読んでもらって面白いのかなぁと思い、話題になっております「キングコング:西野亮廣さん絵本無料公開について」私見を書いてみようと思います。
おそらくですが、全ページ公開されている公式で『えんとつ町のプペル』見てきました。
まず。最初に感じたのはWebで無料公開された(既に物販はスタート済)という点ですが、実際の本の方は印刷にもこだわりがあるそうで実際にはそっちでないと本当の良さは分からないのではと感じました。というよりweb公開の方は完全に音楽で言うところのお試しmp3版に感じます。
ですので、これによって大きく損失をこうむる事は無いのでは?と感じます。現に実際の本の売り上げは伸びているそうです。
絵本ページ画像も超高解像度で表示可能というわけでもないですし、PCディスプレイやましてやスマホの画面では個体差があり色彩もインパクトも変わると思います。
またストーリーも絵本向けのモノに感じましたので、それに付随するでろう本当のオンリーワンなオリジナルストーリーのほうが大切なジャンルですよね。絵本って多分。
つまるところ私が感じたのは、この全ページ無料公開されたとは言うものの、これが生み出しているのは「実際の本はこれとどう違うのだろう?」という購買意欲や興味を引き出す広告にしか見えないという点です。つまりはセカンドインパクト用の広告活動の一つにしか見えません・・・。
裏を返せばこんなで十分やわ。という人や少し毒が入りますが、そこまで考えない人、考えられない年齢の人を最高の広告塔にする手法であり、また話題のタネであり、暇つぶしの一つであるという点ではないでしょうか?
ここで、私の分野である音楽の方にはなしをシフトさせてもらって・・・。
たとえばYoutubeで音楽を聴いている人は製作者側からすると実際かなり損をしています。Youtubeではしばらく前からデシベル制限が採用され動画内に含まれる音声ファイルに大きな音量的制限が掛かるようになっています。これはうわさに聞くところブラウザのプラグインを使うことでこの制限を回避して元々の動画ファイル音質を楽しむことも出来るようですが、だとしても動画ファイル内にある音源もデータ的には圧縮されたものですので、純粋なPCM音源には音質に勝てるか?といわれると否だとおもいます。(MV付などの付加価値は今回除外します。)
ちょっと自慢に聞こえたら申し訳ないのですが、私のように音源制作をしている人間は大体24bit/48000Hz~という俗にハイレゾと呼ばれる音質領域の環境で制作しており、通常の音楽リスニング環境もこれを使う場合が多いです。設定の知識などはおいておいて機材費総額数十万以上~ぐらいの環境で音楽をモニタリング(聞いています)するということを常にしています。
この環境になれると、音質の優劣による快感と不快感というものを強く感じる体質になってしまい、キツイ言い方ですがYoutubeなどで音楽を聴いていて、それで満足できている人が信じられないような体質に自然となって行きます。
ですが・・・。今の時代に音楽のリスニング環境にそこまで普通の方がかけるというのは考えにくいうえに、たとえば我々クリエーターの環境を構築するにはその方面の知識まで必要になります。
となると、「大金を出して、時間かけて勉強までするの?たかだか音楽を高音質できくために?」という反応が一般論や常識という概念から考えるとそちらの方が正論であり多数派になりますよね。
ましてや、本当の超高音質の体験をその生身で感じた経験があるという人がどれほどいるでしょうか?(世の中には音質のためならマイ電柱を立ててしまう人もいるんですよ!!トリビア!!)そういった経験の場も少ないし、それをクリエーター側が提供できているとも言いがたい。そもそも足を運ぶのにだって時間とお金がかかるのに一般的な消費者の方に、そういった技術・技法的、時間的な話を武器にされて押されても一般的な消費者さんは困ってしまいますよね。
というか、今日日音楽一曲に250円~150円出すのさえ正直バカらしく感じる人もいますよね。違法だとしてもたくさん音源あがってますもんね。ネット上に。またお金出すくらいならYoutubeで全然OKですよね。聞ければいいですよね。MVもついててみてて楽しいし。浮いたお金でそのバンドやユニットのライヴに友達と行くほうが楽しいですよね。私はクリエーター側の人間ですが、その考えの方が正しいと思っています。
私が思うに、いまのクリエイト系の市場には、こうしたクリエーター側と消費者側に価値観の行き違いが発生しており、その違いがこうした論争を呼ぶのではと思います。ここで唯一強く訴えたいのは、このクリエーター側の価値観というのを理解さえ出来れば一線を越える幸福感や高揚感、優越感などを味わえるという点です。これは現状多くの消費者さんのもつ価値観の範疇では決して得ることが出来ないほど大きなものだと私は考えています。想像してください。ギターヒーローや一流ピアニストのようにバリバリかっこよく楽器弾ける自分。大勢の人が自分の歌に聞きほれてくれる瞬間。私のようにPCとソフトさえあればいろんなジャンルの音楽を一人で作り出せてしまう全能感!(オイ!)なので、私はこのクリエイター側の価値観の共有こそが今後大切なのではと考えています。
しかしながら、このクリエーター側の価値観というのはお金を出すだけでは絶対に理解できないですし、また感じることが出来ないのが最大の問題点なのです。
話を戻しますが、今回の西野さんの行為は完全に消費者側の価値観にあわせ、悪く言えば自分の儲けを最優先した行動だと考えられても仕方がないとは感じます。逆に言えば、本当にクリエーター側の価値観も合わせてお持ちなのかな?と経歴などその他背景も含めて考えてしまうことも認めるべきだと思います。
ですがこれに他のクリエーターの方が意見するのはお門違いだと思います。これによって生じるであろう直接的な不利益をこうむるのは商品の購入者であり、それも価値観の焦点が購入者のみが味わえる特権等にある人のみのはずです。
この件に関する批判のほとんどが他のクリエーターさんからの批判や、なんでも無料になる風潮を懸念した意見が多いようなのですが、それで利益を上げられるビジネス基盤を持つ人が商売の上では勝ちではないでしょうか?誤解しないでくださいね。私もそれらに泣かされているほう側の人間ですからね?
特に何でもかんでも無料で何とかなると思っている若い子が多いのは私もどうかとは思っています。
ですが、芸術においてはそれを生み出した者がその全権を決められてしかるべき。という著作権の原則が脅かされる方が私は何倍も脅威だと思います。
別のスキルで稼げているから、プロが青ざめるようなものを趣味で作り無料で配る人がいても、それに対してそれを生業としている側が怒るのはおかしいですよね。その人が作ったものですし、その人がいいって言ってるんだから誰も何も意見できなくて当たり前のはずです。そんな半端モノには色々な意味で負けない何かを作れる人をプロのクリエーターと呼ぶべきではないのでしょうか。
これも私見ですが、最近はプロという言葉がその意味以上に広い範囲で使われている気がして仕方ありません。私はプロの方々のどのプロを信じればいいか最近は完全に分からなくなってきました。その不満が一方的に出ているだけかも知れませんが・・・。
ということで総括しますと、私はなぜこれが大きな問題になっているのか良く分からないというのが本音です。
こういった手法は昔からあったと思いますし、こういった論争も昔からあったのでは?と感じます。炎上商法といいますかこういったものを利用したインフルエンサー広告会社の活動の一環だったりして・・・。
ともあれ、詳しく調べもせずググってすぐ出てきた情報だけで書きましたが、楽しんでいただけたのなら幸いでした。ではまた次回。